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ふつうの人

 「変わっているね」と聞かされたときの釈然としない気持ちがどこからくるのか、その答えを、いま掴みかけています。このことばを与えられるのが不服というより、ごくふつうの私にはただ不可解なのです。他の「変わった人」たちと話してみてもやはり、相手にも私にもとくに変わったところは見つかりません。

 「ふつう/変」は相対評価であるにもかかわらず、比較対象とする母集団を明らかにせず宣告されるからあてにならないのではないか、という仮説をここに立てましょう。根拠はどこにもなくてよい「うつくしい」や「愛している」とは、わけが違います。

 自身の欲望に忠実に、自分にとってはごくふつうに素直にふるまってきた結果として、私はなぜか宇宙人をやっているので、「変わっているけれどじつはいい人」などといった判定を、今後とも下されつづけることは知れています。それに対しては、あなたからそのように見えるのならそれがすべてだとお答えしますが、私のありようが変わることで、かけられることばも変わったらおもしろいな、とも思うのです。そろそろ、たとえば「悪い子ね」とほほえみながら囁きかけられるというような事件が起こっても、よいころではないのかな。

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