ひらログ

おひまつぶしにどうぞ。

日本人

 説明会で知りあった留学経験者が聞かせてくれました。「日本が好きで、日本人も好きってよくしてくれる人がいるけれど、それって私のことではないよなって」。私はうなずくばかりでした。ちょうど、くりかえされる「外国籍の方も活躍しています」にあきあきしていたころでした。国内/海外の二分法とグローバリズムとは相容れないのではありませんか、と、疑いながら私は質問することができずにいます。

 日本人として日本のなかにいても、似たような場面に遭遇することは珍しくありません。祭典の中継に盛り上がれば「同じ日本人として」誇らしく思い、不祥事を聞きつけては「同じ日本人として」恥じる、それがどうしてできるのか、あるいはせねばならないのか、わからないから、なにも感じないのを隠してニュースを仕入れます。

 「これを若者/長女/文系/バイセクシャル……の総意だと思わないでほしい」と断りを入れるまでもなく、私を知る人が私に標本としての役割を期待しなくなってきたのは、たいへん喜ばしいことです。私の望みは、私という一個人として名ざされること、すなわち「あなた」「わたし」と呼びあうこと、ただそれだけのことにすぎないのです。