ひらログ

おひまつぶしにどうぞ。

謝罪の作法

 多大な影響力を持つ人の会見を視聴して、「この人はなぜこう的外れな謝りかたをするのだろう」とテレビの電源を切ることがたびたびあったのですが、その答えは単純で、まっすぐに謝れる人は、そもそも大きな問題をまれにしか起こさないのでしょう。

 「ごめんなさい」のほかに、しきりに「そんなつもりではなかった」が聞こえたら、もう耳を貸さなくてかまわないと決めています。「差別の意図はなかった」も同じです。差別の元凶は、悪意ではなく無知蒙昧なのです。〈自分がどういうつもりでいるか〉と〈相手がどう受け取るか〉とは別物であり、前者は自分以外のだれもにとってどうでもよろしい、と心得て、後者と向き合うのが謝罪というものです。だれになにを謝るかわからずに頭を下げるものをパフォーマンスと呼びます。

 戦時下、国民を迫害に駆り立てるのはまじりけのない善意です。ストーカーが愛する人を刺したのはむこうみずな純情ゆえです。私は「いい人」がきらいなのではなくて、行為の動機および意図と結果とにはなんの関わりもないということが言いたいのです。「倫理」や「道徳」といった語を、注釈もつけずに用いるまねはできません。できるかぎり人を傷つけないために求められるのは、論理と知性にほかならないと信じています。