ひらログ

おひまつぶしにどうぞ。

知らないくせに 下

 「子どもを持たないものが子育てに口を出すな」といったふうに、経験したことのないことがらについて語るな、という主張を聞くことはめずらしくありません。しかし、経験の有無と、語ることの是非とはまったくの別物であると私は考えます。

 上述の命題を真とすれば、やがて、それを裏返した「経験したことは語ってよい」に行き着くおそれがあります。すると、禁煙に成功したとたんに喫煙者を啓蒙するかのような態度を見せるとか、恋した人を射止めたつもりになったとたんに無用の饒舌ぶりを発揮するとかいったたぐいの、本来ならば成人までに根治すべき病を長引かせてしまうのです。ものごとについてことばをめぐらすときに必要となるのは、経験ではなく真摯な想像力です。「あのときの私はああだったから、あなたもそうだ」を押し広げようとするなら、かけがえのない経験は、かえって目をひらく妨げとなります。

 めいめい、訪れたい土地やみずからの死を、知らないうちに知らないまま語ったらよろしいでしょう。そして他者の人生については口をつぐむのです。私は私のまだ知らない亡国や戦争に思いを馳せ、きたるべき引っ越しと窓から望む海岸線、猫のいる暮らし、うつくしく老いてゆく日々を夢見ます。

www.kodahira.com