ひらログ

おひまつぶしにどうぞ。

私の文章作法

 取り入れないほうが発話全体がかえって端正にととのうような枕詞が現代語には散見しており、たとえば「これは偏見にすぎないのだけれど」「これは偏見などではなくて」からはじまることばを私はほとんど聞いていません。そもそも人の言うことのすべては偏見であり、しかも、ある考えを偏見と呼ぶか否かは本人の外側にある目によってしか決められない、という覚悟なくして発せられることばは、えてして切れ味の悪い刃に似た善意と純情とをちらつかせており、手に負えないからです。

 「差別するつもりはないが」とて同じです。非難されそうだという気はしているものの言わずにおけないことがあり、問題点に自力で辿り着けないのなら、前置きは「これが差別にあたるというなら、なにがいけないのか教えていただきたいのだが」あたりが妥当です。そして、いかなる答えをも甘受するこころづもりがないのなら、はじめから黙っているのがよろしいでしょう。

 テクストから「どういうつもりで書いたか」が正確に読み取られることはありえません。私の裁量に委ねられているのは「なにを、いかに書くか」までですから、書き終えたものはすっかり手放します。ことばの奥にある意図を伝えるには、あれこれと注釈するのではなく、ことばそのものの運びかたにこころを砕くことです。