ひらログ

おひまつぶしにどうぞ。

皮膚とことば

 文豪はことごとく病んでいたとか、画家は奇人ぞろいだとか、あるいはもっと卑近なところでは、文学部は変人のゆくところだとか、まことしやかにささやかれる風説にうなずきはしませんが、その発生のメカニズムを解明することは可能だと思っています。ようは、においのきついものしか世間の記憶に残らないだけのことだ、というのが私の見解です。

 「ことばづかいがふつうじゃない」と評された文学部生たる私のつかう変なことばは、工夫と努力の結晶ではなく、既製品の合わないからだの産物であり、奴隷でもあります。すでに流通していることばではうつしとれない皮膚感覚の持ち主は、既成の語彙および文法を切断しつぎはぎし、はじめてことばを着ることができるのです。そうして自身の感じかたに忠実なことばでしゃべると、聞き手には新奇に映るらしいから、拒絶反応を引き起こすか、珍重されます。どうしようもないことです。

 感じるままにしゃべるとふしぎがられる、というのとよく似た現象が、音や色づかいによって剥製をこしらえる人々の身にも起こっているはずで、そんなとき真っ先に思い浮かべるのは、ドビュッシーの名です。彼はピアノをもとの置き場から連れ去ったのに、すべてがあるべきところにあるかのような排列を書き残しました。