ひらログ

おひまつぶしにどうぞ。

われ、あり 下

 「多様性」の一語を定義することを、私は前回の記事にて注意深く避けておいたのですが、いよいよ、ここではっきりさせることにしましょう。多様性とは、さまざまであること、これにつきます。こんにちの「多様性ブーム」に引きずりだされたこのことばは、不名誉な誤解を受けています。私には、辞書のなかにあるときのほうが、はるかに明晰でうつくしく見えるのです。

 自分の頭で考え、自分のことばでしゃべろうとするなら、「多様性を認める」というコロケーションのちぐはぐさに、まず気づくはずです。これは「異性を扱う」「アメリカ大陸を発見する」ほどの傲慢かつ滑稽な考えといえましょう。認めようと認めまいと人間は多様なのであって、「多様性を認められない」のは「自身がいずれ死ぬことを認められない」ようなものです。

 ただし、私は「多様性ブーム」の趣旨を把握しているつもりです。「共感や理解のできないものも尊重しよう」「きらいだから傷つけてよいことにはならない」、そんなところでしょう。しかしこの原則がいまさら画期的なものとして掲げられるのはやはり滑稽で、それ以前の人々はなにを信じてきたのかといいたくなります。昔から「いろんな人がいる」の「いろんな人」に含まれた私は、多様性をなすノイズかなにかそのものでした。

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