ひらログ

おひまつぶしにどうぞ。

薄氷

 タルトタタンの並んだテーブル越しに、先生が「将来を、と、こころに決められた方が、もういらっしゃるのですか」といったようなことを、おそるおそるおたずねになったとき、先生と私の関係は、いま、不可逆性の変質を遂げた、とぼんやり思いました。こんなとき、私は、薄氷の割れるみたいな音を聞く気がします。そしてそれは、この場合には不愉快でなかったから、移行と接近は問題なくなされた、とも感じていました。

 殻のかたい私は、殻のかたそうな人を好みます。他人になにかたずねる、あるいは打ち明けるさい、いちいち薄氷を踏むような思いを抱える人のことです。飲み会やSNSにて開示される私的な情報の乏しい人ほどセクシーだ、という説明のつかない感覚を私はもっています。私の感興をそそるのは、たとえるなら、ポルノグラフィを楽しげに語る人でも、観ないと公言する人でもなくて、観ていようと観ていまいと不思議ではないが、そのどちらであるか皆目見当がつかない人、といえます。

 そっと薄氷を踏み抜かれた先生が、いつまでもはらはらなさっているので、「先生から私に、そうおたずねになるぶんには、なにも、いやではありません」と申し上げました。薄氷を踏む思いに苛まれていらっしゃるように見えるかたであるかぎり、よいのです。