ひらログ

おひまつぶしにどうぞ。

家のなかでは

 かつてこんな問題にぶつかった、と解決したあとでなにげなく投げかけてみると、なぜそのときに話さなかったのか、と両親はうろたえだすので、そのたびに私は、話せなかったのではなくて、話さずにおくことを好むだけなのだ、といった釈明に汲々とすることになります。

 傷口を人に向かってひらくと、所見なり見舞いの挨拶なりを求められているのだ、と相手は感じるようです。けれど、私はそのいずれも欲しておらず、両親のほうは、それらを与えんとしてこころを砕きます。私の健やかなることを願うあまり、父は「そのくらいたいしたことではない」と決めてかかり、母は当人以上に慌てふためくのです。私の痛みが私のものではないかのように扱われて、疲れきるのが目に見えるようですから、私は食卓では傷を隠して、「痛いの? そっか、よしよし」のほか、なにも言わない人をたずねに出かけます。

 つまり両親は、私を愛しているから、私の喜びを私のごとく喜び、私の悲しみを私のごとく悲しむのです。しかし、私を生きるものは、ほかならぬ私ひとりであるはずです。私は両親を愛していますが、私だけが家族のだれにも似ず、かたい殻をもち、ほんのわずか孤独を必要とします。私たちは、狭い家のなかでは適切に愛しあえないようにできているというほかありません。