ひらログ

おひまつぶしにどうぞ。

時間の問題

 体感として、時間はたえずのびちぢみしている。ただし、そのことを、ひいては時間という枠組みの存在を思い出すのは、のびきって停滞しているあいだだけだ。時間のちぢむときは、ちぢんでいることに気づきもしない。そういうわけで、私の日曜日は、たんに速く過ぎるというより、まどろみのうちに溶けている、とでも書いたほうがからだの声に忠実だ。帰路についたとたん、滞りなく流れていたらしき時間がつかえだして、そのときはじめて週末が暮れるのを知る。このシークエンスにはきまって茫然とする。

 のびちぢみする時間を歩くものにとって、時間の問題は、時間の問題ではない。私はどこにいても気を失うみたいに寝入るから、南新宿から新宿にいたるまでに、あるいは熱い浴槽で、夢を見ることがある。分針が震えもしないうちに、夢のなかで半時間やひと晩を演じているのだ。このとき、計測しうる数量としての時間は、目覚めた私になんの意味ももたらさない。いいかげんにできた、操縦しづらいからだだ、と頻繁に思う。

 五時半には布団を這い出なければならないことに痛痒を感じる、とよく書くが、これが八時であれ正午であれ私にはほとんど同じことだ。眠りの破れたことに茫然とする瞬間は、週末のおわりに似て耐えがたい。