ひらログ

おひまつぶしにどうぞ。

婚姻という契約

 婚姻制度にみずからを投げ入れたさいの利点として、代理手続きや遺産の相続が可能となる、などのことがらにはうなずけるが、「絆」「責任」などと呼ばれる感情的な側面には、私の理解はとうてい及ばない。この側面とは、「結婚をすれば一人前になれる」とか「ほんとうの愛がわかる」とかいった不明瞭な信仰をさす。

 私にはいわゆる恋人がある。互いに明言したことはないが、その人とは、互いの余暇や交友関係の一部を拘束するという排他的な契約をとりむすんでいるといってよい(特定の交際相手の存在を枷と見なし、必要を認めない人々の感覚は、私からすれば至極真っ当である)。私たちは幸運にも、想定する契約の範囲がおおむね合致しているようだし、齟齬が生じた場合には、要望を述べ、聞き入れようとする意志ももっている。したがって、「どこからが浮気か」などと、判定をふたりのあいだではなく世間に委ねるような蛮行にはいたらない。

 婚姻制度の感情的な側面が理解できないというのは、つまり、きわめて個人的であるはずの関係における規範を外部に求める態度がのみこめないということだ。ついでに、関係維持への圧力として結婚をもちだす意義もわからない。私は彼を、そして私をも、終身刑に処したくはない。契約はふたりの望むかぎり解かれないだけだ。