ひらログ

おひまつぶしにどうぞ。

なかま

 もはや私は文学部生ではないのだから、娯楽としての読書にふたたび親しみ、個人的な体験や素朴な感想文をいたずらに書きつけてもよろしかろう。「コンビニ人間」を読み、思い出したことがある。私には「なかまはずれ」に苦しんだ経験というのはほとんどなくて、いわれなき「なかま」意識、「同志」呼ばわりのほうに、しばしばうんざりさせられたものだった。

 「なかま」たちの臭気は学校のみならず会社にも充満していた。「従業員は家族」と謳う役員を見た日には、そのような契約は交わしていないはずだといいたくなった。顔も知らない社員から「稲門会へのさそい」とかいったメールを受け取ったのも記憶に新しい。

 それから、私には「女子会」に参加する資格も意欲もない。つまるところ、あれは多くの場合、シスジェンダー・ヘテロセクシャル・フィメールの社交場であるからだ。私はそのいずれもみずから選びとっていない。むろん、いまも会いたくてたまらない、気の置けない女たちも何人かいるが、彼女らは私たちの集まりをそのようには呼ばない。私たちは女どうしだからわかりあうのではなく、あるときはかばんに文庫本を忍ばせるものどうしとして、またあるときは愛するものを愛するのに忙しいものどうしとして、ことばを通じあわせるのだ。